軽くADHDな親子~41歳高齢出産ママの歩む道

母親は、43歳のころに処方箋レベルのADHDと診断。長女はADHDボーダーライン。主に”言葉”によるコミュニケーションに着目した、家族のリアル。2004年から他ブログで書き散らかしたものも転記。考え方や文体の変化は、ADHDの特性を表しているのかどうなのか?

母のこと

母は幼い頃から体が弱く、
30歳まで生きるか生きないかと言われていたそうです。


結婚・出産などできると思っていなかったと言います。

 

炊事、洗濯、掃除をすると過労で倒れてしまう母に代わって
洗濯機を初めて回したのは、

私が幼稚園の頃だと記憶しています。


私たち兄弟が小学生の頃には母は自宅で倒れ、
入院一週間目で血圧は、上60、下40。


医師は「立って歩けるようになると思わなかった」と。

 

そんな母も今年61歳になります。
「予定の倍以上生きている」と笑って言います。


私たち兄弟を育てなければという思いがきっと強くて、
生きながらえたんだと思いますし、
私たちが中学、高校、大学のころは仕事をしていて
とても元気に見えました。

 

それでもここ数年は、年に一度ずつ倒れます。
入院こそ少ないですが、

救急車を呼んだり夜中に当番医を探したり。

 

どうして母は体が弱いんだろう?
いつからか、そんなことを考えるようになりました。
食べ物にも気をつけ、適度に運動もする、健康的な生活です。
「体質だから」では、納得がいかなかったんです。

 

母の生い立ちを聞いてから、

だんだん納得がいくようになりました。

 

母は、祖父母が避妊しているときにできた子供だったらしく
祖父は祖母の浮気を疑って怒鳴り散らし、
祖母はそれに腹を立てて、
流産するように

重いものを抱えたり高いところからジャンプしたりしたそう。


そしてそれを娘である母にも話したということ。


これって、娘としては傷つきますよね。


その上5人兄弟の4番目で、

あまり手をかけてもらえなかった様子。


母の体が弱いのは、祖母が流産するために飛び回ったせいで
胎児のときに

何かがおかしくなってしまったのかも知れません。

 

でも、サプリメントなどで体質改善などもしました。
病院で精密検査を受けても、何も異常は出てきません。
それでも年に一度は倒れます。

 

今年になってから母は
「私は自分の母親を恨んでるからね・・・
 流産しようとしたってのがまだ許せないんだと思う。
 謝ってもくれないし、本人は悪いとも思ってないんだろうけど。
 それでも恨むってのは悪いことだから、

 神様が私に罰を与えてるんだよね」
と言いました。

 

母のその言葉に対して、私はこう言いました。
「神様は優しいから、

 罰って与えないんだって聞いたことがあるよ。
 そうだとしたら、

 母さんの体が弱いのは、自分で自分が許せなくって
 自分で自分に罰を与えてるのかもしれないね」と。

 

望まれない子供だったという言葉を幼い頃聞いたら、
誰だって猛烈に悲しくなるし

それがトラウマにもなると思います。


本当のことだとしても、

娘に悪びれず話すという祖母の神経はどうかと思います。


ただ、そこに固執してしまって乗り越えられずにいることも事実。
そのせいで自分の体を傷めているのでは、悲しいですよね。

 

母が祖母を恨んでいるのは仕方のないこと、理解できる範囲のこと。

でもそこを超えてもらいたいと願う、娘の私の気持ち。


初めて、そんな複雑な想いを母に伝えられた言葉だった気がします。

 

これまで私は、恨みを捨てられない母のことを軽蔑したこともあったし
喧嘩もしました。


母にだけは、恨みとかいう汚い感情を持って欲しくなかった。
娘にとっての聖母マリアであって欲しかったのかもしれません。


そして母も長いこと、聖母マリアを演じてきてたのかも。

 

一人で生活し、その後結婚して
母を生身の人間として認めることができたのかもしれません。

 

これから先、
母は自分の母親に対する恨みを乗り越え、

元気になるかもしれません。
乗り越えられずに年に一度ずつ倒れるかもしれません。


どちらにしても私の母であることは変わらず、
私にとって大好きな母であることは変わりません。

 

20代の頃からずっと抱いていた

母に対する複雑な想いがやっとクリアになって
やっぱりこの人(母のこと)、可愛いなーなんて思えるようになりました。
聖母マリアだったときより、今のほうが母のこと好きかも。