癌を患うあなたへ。泣いてほしい。心配させてほしい。弱さを見せてほしい!
ちょっと今、本気で悩んでいる。
というか、本気で悲しんでいる。
どんなに打ち消そうと思っても打ち消せない不安。
癌、という病を持った人が身近にいる。
そしてその人があまりにも誇り高く、弱さを見せないんだ。
さらにその人と良く似た感性を持つ私は、初めて癌を告白されたとき淡々と前向きに語るその人を見て
「わかりました。じゃ、心配はしませんね」
と言ってしまった。
さまざまな事情をかんがみて、私にそれを打ち明けてくれたのは本当に嬉しい。
身内と、仕事上でどうしても影響が出てくる方々、そして病気そのものを相談できる人を除いては、私だけに打ち明けてくれたらしいんだ。
でも、私は自分の「心配はしませんね」ということばにガチガチに縛られてしまい、今まで本当に心配せずにきた。心配しちゃいけないって思ってた。
いや、心配はしてたように思うけど、それを自分でも気づかぬふりをしてきた。
でも、そうじゃなかった。
なかなか具合が悪くてお会いすることができないけれど、周りの空気から感じることは
その人自身も「治らなければ」「治さなければ」「心配をかけるわけにはいかない」「迷惑を掛けるわけにはいかない」という想いにガチガチに縛られているようだ、ということ。
よーーーく考えてみろ。
もしも私自身だったらどうだ?
本当に心配されたくないか?
いや、そんなことはない。
きっとそんなことはない。
表面上は「心配しないでほしい」と思うし、そう言う。
けど、本当に心配されたくないんじゃなくて、心配なんかされちゃったら、自分がここまで守ってきたものがひざから崩れ落ちそうで怖いんだ。
でも、その守ってきたものって、けっこうしょーもない自分のこだわりやプライドだったんだよな。
そして思うのは、誇り高いその人に癌という病が訪れたのは、今までの考え方を変えなさいということではないのだろうかと。
病というのはすべて、『性格習慣病』だとするならば。
私の統計上、リウマチの人は細かいことが気になり、とても神経質。
膠原病の人は、かまってちゃん。
高血圧の人は、何かしら許せないことがある。怒ってる。
ものっすごい少ないデータだけど^^;
で、この癌という病気は、自己犠牲の精神が強く、負の感情をいけないこととして密封してしまう癖のあるひとではなかろうか。
責任感が強い。ストイック。生真面目。優しい。サボったりする自分を許せない。
もちろんどんな人でも病気になるし、必ず死ぬ。
ただ、肉体というのはきちんとメンテナンスして使うと120年持つという説もある。
メンテナンスってのは、メンタルもそうなんだ。
感情って、神が与えたもうたもの。打ち消してちゃいけないの。
感情って、自分のメンタルを確認するためにとても大切なもの。
自分のメンタルだけじゃない、自分の取り扱い方を確認するために、とても大切なもの。
その大切な感情なのに、「嬉しい」「愉しい」「ありがたい」「ワクワク」以外を良くないものとして打ち消している人がほんとに多い!
イヤ何も、いつでも誰にでも垂れ流しにしろって言っているんじゃなくて。
ただ、その感情があるのを見つけてあげて、感じてあげたらいいのに、って思うの!
不安も、悲しみも、悔しさも、切なさも、大っ嫌いも、ボケクソ死ねも、一生私の前に顔を見せるな!でもいいから、とにかくその感情を「あるよね」「そう感じてるよね」と認めてあげる。
どうやって?
書くのが一番だよな。
ノートにめちゃくちゃ書きまくる。
でも横になってたらノートには書けないから、スマホでもいいよ。今自分はどんな感情を感じているか、とにかく書きまくる。悪口だらけになっても、愚痴だらけになってもいいから!
という私も、癌の告白を受けてから半年、本当は心配なのに、この先どう対処するべきか不安なのに、その感情全てに蓋をしてきた。認めてこなかった。なきものにしてきた。
でも、今こうして書いてる。
超えるべき大きなイベントは超えたから、もう心配してもいいんじゃなかろか。
ていうか、心配させてほしいんだ!
心配くらいしたいんだ!
友達じゃないか!
話し相手くらいにはなりたいんだ!
泣いてほしいんだ!
あなたが泣かないと、周りはみんな泣けないんだ!
私だって泣きたいんだ!
私だって弱さを見せたいんだ!
そしてね、あなたがいなくなったらどうするのか、考えたくないけれどそこへの準備もまた必要だと思う。
うちの弟は、仮死状態で産まれてきた。
母は「二十歳まで生きると思わなかった」って。
だから、甘やかした。
頭が良くて何でもすぐに吸収した。成績もよかった。
親戚の中で東大に入るとしたらうちの弟だと、教師をやっている親戚に言われてた。
だから、自慢だった。
二十歳をすぎたとき、彼は地元の大学にいた。
頭のいい彼にはつまらなかったようで、授業は受けず、サークルに入り浸ってた。
授業料は使い込み、結局除籍となった。
(ちなみに私も使い込んだがなんとかバイトして返した。が、中退した)
その後あれこれともっともらしいことを言っては親から学費なんかを出してもらい、都内の専門学校や地元で自動車学校に行っていたが、今は44歳のニートである。
昔見たテレビドラマに『世界の中心で愛を叫ぶ』というのがあった。
白血病でこの世を去るアキの父親は、彼女を厳しく育てた。詳しい話は忘れてしまったが、幼いアキに誕生日なにが欲しいかを聞き、お人形か何か、勉学に関係のないものを希望したアキ。でも父親は地球儀だったか、教育熱心な親らしいものを買ってあげていた。
アキがこの世を去ってから、三浦友和演じる父親は「どっちも買ってやればよかった」と涙を流した。「こんなに短い命とは思わずに」親の与えたいものだけを与えた後悔。もうどうしようもない涙。
それと似ている…のか分からないが、うちの両親は、弟を短い命だろうと育てた。
予定通り短い命であれば、立ち直れないほどの悲しみはあろうけれども、今のように困らなかったし悩みも少なかったのかもしれない。
今の弟は結婚もせず仕事も非常に不条理ながら辞めさせられることになり、ニートになって3年目だろうか?イヤもしかしたらネットで稼いでいるんだと思うんだが、クビになる必要なんかなかったし、ネットで稼いでいたとしても、70を超えた両親には分からぬ世界。心配でたまらないと思う。(←しかし両親はこれに蓋をしている)
両親は弟を、早く死ぬかもしれないし、長生きするかもしれない、と育てた方が良かったのだろうと思う。
医療は進化する。しかも弟は大きな病気をしたわけではなく、単に母が彼を病弱だと思いこんだだけだ。
そんな思い込みで、社会にイマイチ適合しないタイプの弟が仕上がってきた。
(ま、この時代ネットがあるし、別にいいのかもしれない)
長生きしても、短命でも、どちらでも幸せであれるように生きる(育てる)ほうがいい。
話を元に戻す。
現在、癌と共存しているその人は、とても責任ある立場にいる。
その責任を途中で放り出すことができず、治療に専念できずにいる。
迷惑を掛けるわけにいかないと、家族総出でその責任を遂行しようとしている。
しかし周りは異変を察知し、そろそろザワめきはじめた。
ここらへんで、もしかしたらこの責任を強制的に手放してしまうことになる(つまり命が尽きる)可能性も考えねば、誰にとっても不幸せなことになりはしないのか。
途中で放り出される関係者、
ムリして協力している家族の虚無感、
後始末するパートナーや関係者の困り顔が目に浮かぶし、おそらく借金も残る。
常に、可能性は数多くあるんだ。
とにかく今は治療に専念しようと、責任を手放し周りに協力を要請することで、もしかしたらぐっと快方に向かうかもしれない。
もしかしたらこのまま責任を遂行することで、いちばん中途半端に突然に、強制終了がかかるかもしれない。
もしかしたらただ泣いて弱音を吐く場を作ることで、責任を手放すことなくうまいこと癌と共存していけるかもしれない。
常に、可能性は数多くあるんだ。
ただ、私にはその人が実は生きたくないように見えて仕方がない。
たぶん身近には私だけに告白してくれた、家庭内の実情。
パートナーがストレスでたまらない状況。
一度はお別れし解放されたというのに、あまりにもボロボロになった元パートナーを見かねて再度パートナーとなったという。それって、自己犠牲じゃないのか?
私には、パートナーと違う世界を持つために今の責任ある立場を作ったように見える。
自分で選んだパートナーとの暮らしだけれども、実はまったくそれを望んでおらず、とにかく責任感や義務感でそれをやっているように見える。
そのストレスがあまりにも強すぎて、もう世を去るしかそのストレスから解放される方法が分からない、ように見えるんだ。
ぜったいにそんなことはないから!
世を去らなくとも、ストレスから解放される方法はあるから!
ていうかさ、なんでそんなストレスにしかならないパートナーを救ったんだよ!?
それさ、パートナーのことバカにしてるよ!?
パートナーさんも、自分で自分のこと建て直せるんだよ!?
拾い上げなくても、救い上げなくても、自分で何とかできるんだよ!?
それを「私がいてあげなければ」なんて、実は厚かましいことなんじゃないの?
めっちゃいい人だと思うけどさ、もっと周りを信頼しなよ。
もっと私のこと信頼してよ。
心配くらいさせてよ。
涙くらい見せてよ。
涙くらい流させてよ。
弱音くらい聞かせてよ。
大丈夫、泣いても心配されても弱音はいても、それじゃ死なないから。
それじゃキライになったりしないから。
ていうかむしろ、泣いて心配されて弱音はいたら、違う世界が見えてくるから。
それに、私は泣いてくれたらきっと嬉しいから。
一度でいいから、一緒に大泣きしませんか?
私は今、とてもとても泣きたい気持ちです。